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2014年12月31日 (水)

東大桁~剣ヶ峰(半鐘山)

 大掃除もほぼ終え、年末恒例?山行へ

昨年は、大晦日に出かけた。流石にアホだなあと思い、

それはやめた。でも1日しか違わないじゃないか。

ややアホ。

そして、今回もプチ登山、いやハイキング?で故郷の?東大桁へ

小学校の校歌にある、note蕨を摘んだ大桁の~です。

4.5.6年と、5月連休に友達と蕨やぜんまい採りながら登った

懐かしい山です。

当時山は焼かれ、毎日煙がもうもうと上がっていて

大桁焦げた(小桁)なんてみんな言ってました。

杉を植えたばかりなんで、道がなくても、山肌に這いつくばって

登れました。関東平野が一望できる絶景に、一同感動したものです。

この山、実はその昔、弘法大師が、金剛峰寺を開山する場所を求めて

諸国行脚した際に、扇形に開ける関東平野の最奥で、扇の要に位置する

山と云う事で大変気に入り、くまなく調べたが、九十九谷で百谷にどうしても

一つ足りないので諦めたという伝説があります。周囲に弘法の池は2カ所有り、鳴沢不動尊は、大師の開基であるらしいです。麓の山口には聖徳太子が刻んだ観音様が安置されているという、伝承もあります。

今日のルートは、

Photo_2

無数にある林道から、1の西大桁分岐まで車で行こうとしましたが、

作業道で、ゲートがあり、車は入れないので、やっすらぎの森、

旧市営キャンプ場から出発。長男が小学生の頃、山登り始めて、

最初に登ったのが、西でした。余り面白くなかったのですが。

今回は、子供の頃登ったルートは、道とも言えない状態だろうし

杉が大きくなって、立派な森になって、見通しが利かないので危ないと思い、

ネット上に時々出てくるコースから、入りました。

本来なら、丹生の山口から入りたい。名前の通り山の入り口ですから。

 まず、剣ヶ峰(半鐘山)。安らぎから、舗装の立派な林道に出て、

正式な道はなさそうなので、適当に登りゃいいらしいので、

見れば、作業道がある。そこに入ったのが運の尽き。

倒木をいくつも超え、くぐり、無数の獣の足跡見てビビり。

おや、子供の声が・・・するぞ。物好きが居る。

この年の瀬に、しかも、超マイナーな山で。

やっと舗装の林道にたどり着くと、家族連れの4人組だった。

こちらは、西へ行った。自分は、反対へ。

1の分岐を右へ行くらしいが、道は途中で消えた。

適当に登るしかないが、またまた西上州。急な砂地、

足とられながら登ると、なだらかな稜線に出た。

どうやら、左の道に入ると、楽にこちらに来られそうだ。

その後はたいいした登りもなく、頂上へ。

しかし、熊五郎さんの落としものが・・・

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天気晴朗なれど、展望すこぶる悪し(爆)。西と、鹿岳なんかが梢越しに

見えるだけ。頂上は風も強い。

見れば、東に下る道もない。適当に降りるしかない。無数の、

猪之八さんが掘り返した、地面や獣道。何だかハチャメチャ。

足元は良いが見通しが利かない杉の森、やや心細く、早く抜けたいと

思うと、少し汗汗状態。

思えば、簡単そうな山で、いつもしっぺ返しを食らう。大体人が入らないので、

道がない。昨年の富士浅間(月形山)もそんな山だった。

やっと舗装道が見えた時は、何とラッキョウ(ラッキー)にも

2の東の取り付きの、まん前だった。

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ここは、左ですな。

振り返ればさっきの下りも、藪道があるようだった。どこまで続くか不明だが。

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途中で、バイクの音が轟いていたが、トライアルの連中が入り込んでいるようだ。

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真中輪達でほじって歩きにくいぞ。

ここは、作業道じゃ無いだろう?所々、大石が真中に

何かの目印の様に。

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そして、そういう事か、信仰の道。

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何やら、大正時代、63丁歩植林した旨の事が、宮に刻まれた名前が、

丹生村の氏姓の様だけど、向きは菅原方面、良く分らん。

元々は萱場か牧場だったこの山域。軍馬も、菅屋の需要も無くなって

植林したのだろう。

やっと山頂と思いきや、また作業道、雪もある。

近場の山で一番に雪が降り、風花が舞ってくる、

800m程の山でも、豊富な水と恵みをもたらして来た山だ。

さて、山の神は、こんな暗い所じゃなかったな。

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この分岐、右にさらに斜めに細い道。これかな?

明るい東斜面に出れそうだ。やや下り再び一登り、また作業道。

途切れたり、突然現れたり、まるで迷路だなあ。

ピークと思われる所は、意外と小さく藪化し道もかすかな藪道。

おおよそ、神々の御座にふさわしく無く、更に北へ行く。

あった。

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しかし、記憶と違う。もっと立派な基壇に三座の神様が鎮座していたはずだ。

お宮の基壇に銘文が、原村講中。

あ~、原の御嶽山だ。やはり、ここは、原、山口村の神様だった。

子供の頃の記憶通り、稜線に踏み跡があり、獣も通って居る様だ。

しばらく、辺りをウロウロしたが、更なるピークは無さそうだ。

と、すれば、やはり、あのピークが・・・戻って、藪道を少し登ると。

あった。実に、44年振りにやって来た。

まず、記憶にあった。樅かカヤの大木、太い割に丈が低い、

気象条件が過酷で高くなれない。辺りは禿山だったので

この木は印象に残っていた。本当に懐かしい。

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しかし、松喰い虫にやられて、すでに、数年前に枯れた様だ。

そして、神様はと云うと、お宮じゃなくて、神像だった。

昔の記憶のなんと曖昧な事か。ただ、大きな基壇は記憶があった。

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注連縄やオンベロがあるので、どちらかの村でお祭りしてるようだが。

山口の衆か?

それにしても、両脇の象は頭がない。左は、利剣と宝珠(本来は羂索)を持っているので

不動さんだろう、やはり水源の山に相応しい。

右は、錫杖を携えている、地蔵さんか?

大抵の石仏は、凍みで首が飛ぶが、頭は乗っかてるのだが、

明治の廃仏毀釈で頭を飛ばされたのだろう。神官だけまともな姿だ。

こんな地方の信仰でさえ、煽りを受けたんだなあ。

権力が道を誤ると、あらぬ方向へ行ってしまうんだなあ。怖い事だ。

タリバンだの文化大革命だの、批判できない状態が日本にもあったんだ。

何と罰当たりな・・水が枯れるぞ。

そして、周りの板碑は、不思議童子だけ読めたが、碑文に文久三年とあった。 1863年幕末の頃の様なので、それまでの神仏混合の様式だろう。

一番左の板碑に、杵屋弥三郎と奉納者の名が刻まれていた。

餅つきの杵を作る職人だろうか?

この石象には、碑文も無く、一体何時の造営で誰が建てたのかも

不明であった。

実は、以前、友人の親父さんに、この板碑の事を調べて見ろと言われて

気になっていた事もあり、いずれ行きたいと思っていたのだ。

実現して良かった。親父には報告できなかったが。

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全部で8枚ありました。矜迦羅童子(こんがらどうじ)。不思議童子。

虚空護童子。不明。持堅婆童子。利車毘童子。獅子光童子。不明。

不動八童子かと思いきや、赤文字以外不動様の童子では無いが、

八童子的な気もする。当時の石工なりが混同してたとか、他の意味があるかもしれない。

帰りに、わずかに見えた、景色です。
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コメント

ライターさんも、大掃除終了されたんですね~♪
お疲れ様でした!

ライターさん、今年も一年有り難う御座いました。
来年も宜しくお願い致します!( ☆∀☆)

みそのさん

今日も神棚掃除しました。
海老の燻製とローストビーフで、銀盤と恵比寿を飲んだら
絶好調です。

こちらこそ、ありがとうございました。またよろしくお願い致します。
酔いお歳を。

山登りと郷土史の調査研究ですか。素晴らしい。

居残りさん

今や、伝承を語れる人は少なく、??と思う事、事実と違う事が
あります。検証と裏付です。

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